ゆるいブログ

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人体大全を読んだ

人体大全を読んだ

この本を読んだ目的としては「人体についての理解を深め、生活の質を上げるためにどのようにすればいいのかを理解する」ということなのですが、むしろ人体についてわかっていることは未だに少ないという感想を持ちました。

本書を読んだ後でも人類が非常に高度な知能を持って活動しているのは不思議ですし、何をやれば自身の能力を出し切れるのかもわかりませんし、どうすれば大病なく生きられるのかもわかりません。

 

本書を読んで、中世に瀉血が医療行為として大々的に行われていたというエピソードが印象に残りました。

瀉血というのは病気の元となる「悪い血液」を外部に出すことによって患者を治療するという医療行為なのですが、そもそもまったく科学的根拠がありません。

根拠はないので瀉血をしたからといって病状が改善することはないのですが、医者が複数人に瀉血を行えば、瀉血後に患者が良くなる場合も悪くなる場合もあります。

瀉血してたまたま病状が良くなった場合に、医者は瀉血の効果があったとみなすため瀉血の効果がないという結論にはなりません。

ja.wikipedia.org

ランダム化比較試験をすれば一発でわかる問題ではあるのですが、当時は大規模な統計も碌に行われていなかったはずなので、まあそういうことも起きそうですね。

 

このエピソードで何が印象になったかというと、根拠が薄くても説明がそれっぽければ人間は信じてしまうのだということです。当時の科学知識では「身体に悪いものがあるから病気になるはず。改善するには身体の悪いものを外に出せば良い」というのはそれなりにもっともらしく聞こえたはずです。

「理解できない物事を単純化して、その単純化した物事に対して解決策を検討する」という手順を踏んだ結果、むしろ害しか生まないような解決策をとってしまったというのは現実でも往々にしてありそうです。

 

複雑なものをしっかりと理解しないと正しい改善策が作れないというのはなかなか難儀ではありますね。人間の知能も観察能力も限度があるので、実際にはこの瀉血みたいな実際には効果はないけど納得感のある解決策が社会のあちこちで行われていることでしょう。