ゆるいブログ

毎日おもったことや、やったことをただただ書いていくブログです

めちゃくちゃにダラダラすごす日々

アベンジャーズ/インフィニティ・ウォーを見る

 アベンジャーズ/エンドゲームで世間が盛り上がっているようなので、前作である「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」を見ました。

アベンジャーズ1作目とアイアンマン1作目しか見たことない、MCUわからない勢なのでしょっぱなから置いてけぼりでWikipediaGoogle検索をしながら鑑賞しました。

当然物語に浸れるはずもなく、話の流れを理解するので必死でした。

映画の批評を出来る知識もあるわけがなく、何が面白いのかもさっぱりわかりません。

次回を面白くするためのキャラ減らし&悪役の描写をするための映画に見えます。

この映画を見た後は劇場でエンドゲームを見ようと思っていたのですが、インフィニティ・ウォーが思ったより面白く感じなかったのでどうしたものかな?と思っています。話はわかるようになったけど、キャラには思い入れがないので面白さがさっぱりわからない。

6つのすごい力を持った石をラスボスが集めていて、それをアベンジャーズ+αが妨害するという話なのですが、それぞれの石の力はこの作品だけだと描写不足で取られても「へー、そうなんだ」以上の感想は出てきません。

まあ前後編の前編なので単体で面白い必要もあまり無いのですが、このくらいの面白さなら特に急いで見る必要はないな、ということで一旦エンドウォーを見る予定はキャンセルしました。(とはいえ外にやることがあるわけでもない)

昨日に引き続きスパイダーマン

全体の25%終わりましたが、昨日とあまり感想は変わらず。

ゲーム体験としては何となくわかってきたのでもういいかな、という気持ちもあります。

 すごく面白い物語を読みたい

今一番やりたいのはこれで、そのために色々物色しているのですが、なかなか手頃なものが見付からず。泣いたり感動したい!!

今日は高見-永瀬叡王戦の3戦目なので、それが楽しみだなとは思っているのですが物語と言っていいものやら?

面白いに違いない本を抽出するのは難しいですね。Amazonのレビュー点数は参考にはなると思うのですが、自分の関心・問題意識と一致しないとやはり感動までは行かないと思います。

じゃあ自分の関心・問題意識って何よっていうと統計・機械学習・将棋・子育てあたりですね。

知人が今何をやっているのかも気になっているのですが、これもたぶんドラマが見たいだけなのだろうな、という気がしています。普通に上手くやっている、よりは今大変そうというのが面白い。(大成功していたら羨ましい)

このあいだやっていた王位リーグの木村-菅井戦とか長手数で持将棋や宣言制勝利も絡んでワクワクしました。

abematimes.com

試合の内容自体は泥試合にも程があるので名局とはお世辞にも言いがたいですが。将棋に興味があり長手数の将棋を見たことがなかったので非常に面白く感じました。このように面白いと思うか思わないかはその人の興味関心に依存していると思います。

 

物語に興味を持って時間を潰すのは人生の大切な時間を無駄にしているとも思うのですが人間というのは物語が好きな生き物なので仕方ない。世の中にはあまり物語に興味ない人達もいると思うのですが、大抵の人は物語に興味を持つのが面白いですね。

人間は喪失や不幸が嫌いなので安定した人生を好む生き物なのですが、物語の無い人生は色褪せて見えるように感じるのが面白いところ。物語というのは起伏があってこそ面白いものであり、幸福があればその手前には不幸が待っているものです。物語においては不幸は幸福を味わうための最高のスパイスになります。

人生は長時間(80年程度)に渡るものなので起伏があってもそれがスパイスにはならないが、物語の鑑賞時間(2~3時間程度)ならば起伏があった方が良いということなのかもしれません。

物語の起伏がなぜ快楽に繋がるのか。不幸な状況を回避して幸福になった時に神経系に対して報酬として強いポジティブフィードバックが与えられるのかもしれません。だとすると物語を楽しむ私達の嗜みは神経系の報酬システムのバグを使って快楽を得る行為といえます。

ただ人生に目的など無いので、バグを使って快楽を得る行為が悪いとまでは言えません。むしろ長期的に役に立つような勉強やモノ作りなどでこういった報酬機能を上手く動かしたいですね。

なんとなく話の流れがゲーミフィケーションに辿り付きそうな気がしてきました。

 

ゲームのように夢中にさせて虜にする(はまらせる)仕組みは広く応用されている(類似の概念に「ゲームニクス」がある)[9]

人間の感情や習性を上手く利用し、フィードバック報酬[10]の用意や承認欲求に代表される「自己実現理論[11]や「16の基本的な欲求」[12]を満たすことなどによって動機づけを行う[13]

 Wikipediaからの引用です。一見良さそうに見えますが、ゲーミフィケーションはその後ほとんどの試みが失敗しました。

失敗した理由はとってつけのゲームっぽさを組み込むだけで終わり、ゲームの本質的な仕組みを取り入れるのが難しかったため、というのが以前読んだ本に書いてあったのですが何の本に書いてあったのかはど忘れしました。

まあ報酬系をハックするためにゲームという形を取る必要はないわけで、ゲーミフィケーションという名前がゲームらしさを要求してしまうため、間違った方向を指すコンパスのように使われてしまうということはありそうです。