ブルーピリオドが面白かった / 暇つぶしのネットブラウジングは有害なんだっけ?
ブルーピリオドを読んだ
美術未経験の高校生がふとしたことで絵を描くことに興味を持ち、東京藝術大学の受験をする話です。
こちらの記事に興味を惹かれたので読んでみましたが、とても面白かったです。
主人公は金髪ピアスの不良男子高校生ですが、努力家でもあり授業の成績は抜群です。いつも楽しそうにしているのはその方が周囲から好感を得られるから、というように周囲の空気を読むような性格でもあります。
この主人公が絵を学んでいくのですが、周囲との技術の差、才能の差に怯みつつも必死に考え、努力し続けて上達していく姿はとても感動的です。
絵を描くことに対する雑学漫画としても読めますが、主人公の情熱に魅せられてしまう熱い漫画です。イマイチモチベーションが出ないな、という時に読むと効果覿面です。
ネットを見ている時間は無駄なのか、そうでもないのか
毎日、前日のChromeの閲覧履歴を見るようにしているのですが、ニュースサイトのトップページを見たり、知人の会社や興味のある有名人が今何をしているのか知りたくなって調べています。
後で見直すともっと時間を有効に使うべきという気がするので、こういったものを減らしていけないかなと考えています。
こういった行動をするのは自分だけではなく、ネットを良く見る人は似たようなものなのではないかな、とも思います。非常に優秀な人は色んなことに詳しかったりるるので、必ずしもこういった行動が悪いというわけではなさそうなのですが、意志力が欠乏するのであまり良くないのだろう、と思っています。
ところでブラウジングがこういった意志力の損耗にどう関わってくるかを調べようとしたらそもそも、この意志力は有限であるという自我消耗説を否定する意見もあるんですね。
上記によると意志力は感情と同様に満ち退きをするらしく、問題はその作業を楽しいと思っているか、とのことのようです。
やるべき作業に着手できないなら、単にその作業をつまらないと感じていることが本当の問題なのかもしれない、ということのようです。
上記は意志力の損耗は確かに無いのかもしれないが、気力は無限であるとは証明されていない、という意見です。
HBRの記事でも
だが私たちは、頭の中に隠れた「意志力の燃料タンク」という、実際には存在しないものを探し求めるよりも、やるべきことがある。自分が脆く、注意散漫な存在であることを受け入れ、多少の息抜きを自分に許すことだ。気力の減退や心のさまよいはおそらく、何かを自分に訴えようとしているのだろう。
と書かれています。
この気力というものは何なのでしょうね?ネット探索していくと息抜きになるので回復するという理屈もありうるので、結局どうするのが正しいのか良くわからないような。
学術的な調べ方がわからないので、適当にGoogle検索をすると、気力というのはやる気とイコールのようです。
上記を読むと目が疲れるとやる気がなくなるので適度なマッサージも大事だと書かれています。また、運動が良いとかシングルタスクが良いとか良く言われていることが書かれています。
ただ、元々のHBRの記事を読むと
気力の消耗については、新たな研究で別の説明が提唱されている。スタンフォード大学の心理学者キャロル・ドゥエックらが米国科学アカデミーの紀要に発表した研究によれば、自我消耗の徴候は、「意志力は有限の資源」だと「信じた」被験者でのみ観察されたという(英語論文)。意志力を有限と見なさなかった被験者は、自我消耗の徴候を示さなかった。
どうやら自我消耗は、「認識が行動を決定づける」ことの表れにすぎないようだ。自分が消耗したと考えると気持ちが沈む。自分にご褒美を与えると気分がよくなる。持続する気力を生むのは、レモネードの糖分ではなく、仕事におけるプラセボ効果なのだ。
気力があると思うから気力の影響があるのだ、と言っているように見えますね。何を信じたら良いのだろうか。
気力があろうが無かろうが睡眠が足りていない時には仕事はできなくなると思うので、どちらかというと気力は有限である説に賛成ではあるのですが、気力とは何か、意志力とは何かというところが曖昧な気がしていて、これということは言えなさそうですね。
自分の中での結論としてはウェブブラウジングは目と気力を減らすので有害なのではないかな、と思います。ですので減らしていきたい。
Courseraのコースは1週目がまだ終わらず
5日で終わらせたい、なんて言って始めたのですが英語力が不十分なことが大きく、動画を2~3回見直したりして全然進みません。
普通に1ヶ月終了のコースを終わらせるのに1ヶ月かかりそう。