シミュレーションAI本を読んだ
シミュレーションAI本を読んだ
スクエニに所属しながらAIの研究をしている三宅先生の本です.
6割くらい読みましたが、事例紹介的な内容が多いので、すぐに実務に行かせるかというとそうでもなさそうです。
実務で今すぐ必要なのはルールベースAIの組み方のノウハウなので、そういうものを期待したらちょっと違いました。
これを見たらシミュレーションゲームのAIが組めるようになるという本ではなく、こういった事例がありますよ、と紹介していく本なので、AIのノウハウを身につけるにはやっぱり実際に作って苦労していくしかなさそうです。
そもそもルールベースAIの作り方自体決まった方法論があるわけではないので社外に出せるようなナレッジベースは無いのかもしれません。
POLYTOPIAにはまっている
暇になるとPOLYTOPIAをやっています。
30分もあれば1ゲームが終わるのがとても良いです。
世はポケモンSVなのですが、そんなに評判がよくないのとゲーム配信で満足してしまって買っていません。
ポケモンはSwitchのスペックが追いついていないというのとオープンワールドにしたせいか、いつもより長編らしいのがプレイするのを億劫にさせますね。
POLYTOPIAは短くてとても楽しいんですが、プレイが終わったあとで感動が残るということはないのが残念です。
また、文明も変わってくるのは最初だけで最終的にはどの文明でも剣士 or シールド→海軍の流れになってワンパターンになってしまいます。
1都市クリアとかできるんでしょうか、このゲーム。
ホロライブにまだハマっている
いい加減飽きてきた気配はあるのですが、それでもまだホロライブにハマっています。
飽きてきた理由は応援疲れで、自分の人生の方が大事で人を応援している場合じゃないというシンプルな話です。
毎日のように配信するからとんでもなく時間を使ってしまっていてこれはやばいなと思っています。
配信をちゃんと見るのは1日1個くらいですが切り抜きやタイムスタンプ、ニュースを見るのも含めると恐しく時間を浪費しています。なんだかんだで毎日2-3時間は使っていそう。
そろそろ依存症が疑われるレベルなのでなんとか生活から切り離したいなあと考えています。
楽しい、楽しくないで追ってるならいいんですがファンになると楽しくなくても応援しなくちゃ、で配信を見る必要があるのが時間の無駄使いで辛いです。
Chocozapに入ろうと思ったらキャンペーンが終わっていた
Chocozapに入ろうと思ったけどキャンペーンが終わっていたのでやめた
Chocozapが駅前に出来たので入ってみようと思ったのですが、入会金(3000円)と事務手数料(2,000円)が思いのほか高かったので辞めました。
入会金はヘルスウォッチとか体組成計がついてくるらしいので、必要無いけどまあわかるのですが事務手数料が2000円は納得がいかない。
しかも昨日(11月15日)まで入会金と事務手数料が無料だったらしいですね。
なんともタイミングが悪くて残念ですが入るのを辞めました。
スマホにBluetoothキーボードをつけてブログを書く
たまたま部屋の掃除をしていて、昔買ったBluetoothキーボードを見つけたので、Bluetoothキーボードをスマホに繋げてブログを書いています。
スマホのフリック入力とどっちが早いのかは悩ましいところですが、書くことに集中できるのが良いところでしばらくはこれで試してみようと思います。
キーボードはThinkpadのもので、昔も試して見たもののあまりしっくりこなくて諦めてます。
何が原因であきらめたのかは忘れました。なんだったのだろう。
対極的なインディーズゲームを2本遊んでみた
対極的なインディーズゲームを2本遊んでみた
最近「RPGタイム!~ライトの伝説~」と「ポリトピア」という2つのゲームをプレイしました。
この2つはどちらも低予算ゲームという共通点はあるものの、対極的なゲームだなと思ったのです。
RPGタイム!~ライトの伝説~はRPGと名前がついていますが、謎解きアドベンチャーというジャンルのゲームです。
子どもが作ったゲームを友達(プレイヤー)が遊ぶというたてつけでデザインされたということが特徴のゲームで、鉛筆画がメインのゲーム画面になっています。ほとんどの画面が使い回しがなく、とにかくやりたい要素をこれでもかと詰め込んだゲームです。
そのデザイン性の高さから発売前にTGSやBitSummitで賞を取っていました。
開発予算が限られるであろうインディーズにも関わらう、ゲーム内にミニゲームが大量に出てきます。
ゲーム途中でオセロや○×ゲーム、マインスイーパーでてきたり、突然シューティングになったり、マップ上の落とし穴をタイミング良く飛び越えるといったマリオみたいな要素もあったり最後はラスボスとカーレースをやったりもして、とにかくやりたいことを詰め込みまくったゲームです。
非常に開発コストが高かったと思います。各ゲーム要素が一回こっきりのミニイベントとして出てくるので、プレイしていて非常に胃が痛くなりました。
構想16年開発10年というゲームだそうで、構想を実現するために手抜きをしないという意気込みを感じました。
開発者の熱意とデザインの良さに感動はしたのですが、プレイしているとひたすら6時間もゲームマスターの男の子の言う通りに遊ぶゲームで、終盤になってくると苦痛を感じました。特に終盤は初見殺しの謎が多くて、ゲームオーバーになるたびに「またかよ」って思ってしまうんですよね。
すごく頑張って作ってはいるのに、その労力がプレイヤーの感情を動かすに至ってはおらず、もったいないゲームでした。子どもが作ったという設定のゲームなので複雑な設定やストーリー、こどもだまし以上の謎は作れないというのがかなりのネックになっており、それをくつがえせるような魅力を提供できていません。プレイに爽快感があるようなゲームでもないです。
特にラストに感動を持ってこれなかったのが厳しいですね。Undertaleも終盤の感動がなければ凡作なので、終盤にもっと面白い展開を持ってくることができれば評価は違ったはずです。
しかし、非常に野心的なゲームで、完成までこぎつけたことで賞賛されるべきタイトルではあります。
ポリトピアは4Xゲームと呼ばれるジャンルのゲームです。
4Xゲームとは(Explore、Expand、Exploit、Exterminate)の要素を持つゲームという意味なのですが、Civilizationのような文明ごとの争いを行うようなゲームのことを指します。
Civilizationは非常に面白いゲームなんですが、ゲームの習熟に繰り返しプレイが要求されるにも関わらず1周あたりのプレイ時間が非常に長いという問題があり、時間泥棒ゲームとして恐れられています。また、プレイヤー数や展開によってもプレイに必要な時間は変わります。
ポリトピアは30ターンの制限があり、その中で最大スコアを得るのが目的です。その制限によってプレイ時間の予測が経ち、繰り返しプレイするのも苦にはなりません。
Civilizationに比べると要素も非常にシンプルで、5回くらいプレイすれば大体の要素は理解できるというゲームです。
ポリトピアは1周が短く、ゲームシステムがシンプルであることにより、短時間で上達する喜びを味わえるゲームです。
RPGタイム!はすごく凝った一周を遊ばせるゲームで、ポリトピアはシンプルなゲームシステムを提供して何度も遊ばせるタイプのゲームでした。どちらの方が正しいということはないのですが、ポリトピアみたいなゲームを低価格で売り出した方が開発者としては幸せだなと思いました。
人狼TLPTが面白かった
人狼TLPTが面白かった
人狼TLPTの舞台を見ました。生じゃなくてニコ生での配信です。
前から気になっていたのですが、時期があわないのと値段がちょっと高めなので敬遠していました。今回10周年記念講演があるということで見てみました。
非常に面白かったです。
面白いと感じたポイントをあげてみます。
- 舞台らしい張りのある演技
- ニヤニヤ笑う場面やメタ読みなどはない
- 悲劇が起こった時、追いつめられた時、反論する時などの細かな演技に迫力がある
- 即興劇なのでストーリーが読めない
- 伏線の張りようがないので、先の読めないストーリーになっている
- 必ず定期的にイベントが発生する仕組みになっている
- 毎日誰かしら吊られて誰かしら襲われ、占いなどもあるので20分くらいの間隔で必ずイベントが起きるようになっている。
- 人数の増減によって人間関係が変化していく
- 最初は目立たなかった人も、人数が減っていくことにより主要人物に押し上げられ、議論に参加していく。
- 誰が正しいとするならば誰も正しいはずだ、という推理の流れによって必然的にグループができていく。
人狼というゲームの構造上、必ず定期的にイベントが発生していくのが一番のポイントだなと考えています。
上記に上げたものは人狼というゲームが持つ特徴も多いですが、自分で人狼をプレイするのは人数を集めることが必要なのと、プレイヤースキルにレベル差がありすぎると初心者狩りのようになってしまう問題があります。
人狼TLPTは人狼が好きで上手いプレイヤーがほとんどなので、初心者いじめのような展開にはなりません。
無料ではなく配信を見るだけでも3000円かかってしまうのがネックなのですが、Prime Videoでも配信があるようなのでこちらを後で見てみようと思います。
邦キチ! 映子さんのプレゼン論が好きという話
邦キチ! 映子さんのプレゼン論が好きという話
「邦画プレゼン女子高生 邦キチ! 映子さん」という漫画が最近お気に入りなのでその話をします。
この漫画は基本的には邦画大好き女子の映子さんがマイナーだったりちょっと変な邦画についてプレゼンという形で紹介するという流れで進みます。
見た事のない映画の紹介は「ほんとにこんな映画あるのかよ、ネタ盛りすぎじゃないか」という感想になるのですが、見たことがある映画が出てくると「ああ、たしかにそういう内容だったわ」という感想になります。なので別にネタは盛ってないんでしょうね。
紹介される邦画のプレゼンも面白いのですが、ときどき出てくるこの漫画のプレゼン論がとても気に入っています。
まず、どうしても伝えたいものが核にあって、プレゼンというのはそれを伝えるための手段なんだというのが、良いプレゼンのありかたの本質を捉えています。
分量の都合もあるのでしょうが世にあるプレゼン系の本は、より見やすい体裁にする、理解しやすい図を作る、見た目をオシャレにするといったことに紙幅を割いています。
でも、一番大事なことはそこではなく「どうしても他人に伝えたいという想い」がまずあること、そしてそれを伝えるためにストーリーを強引にでも作るなど、手練手管を弄するのが良いのだなと思いました。
ビジネス系のプレゼンだと好き嫌いではなく、正確に情報を他人に伝えることが第一の目標だったりはするのですが、見て良かったと思ってもらえるようなプレゼンにはまずプレゼンターの情熱が必要だという視点は今までそんなに気にしたこともなかったのでハッとさせられました。
最近、社内でプレゼンをする機会がありまして、自分の興味があった部分を徹底的に調べて発表したのですが、発表後に「気持ちが伝わってきてとても面白かった」と言われました。録画していなかったので、自分のプレゼンが良かったかどうかは良くわからないのですが、こういった「想い」を重視するプレゼンは今後もやっていきたいですね。
なぜ人はストーリーを求めるのかについて考えてみた
なぜ人はストーリーを求めるのか
有給休暇なので本を読んでいました。
以下の2冊が特に印象的だったのでその話をします。
まず「ストーリーが世界を滅ぼす」について。本書の主張は「ストーリーによって人間はたやすく操作されてしまう」というもので、この主張自体は苦もなく同意できます。この主張は興味を惹かなかったのですが、前段の以下の疑問に興味を惹かれました。
なぜ 人 は こんなにも 物語 が 好き なのか。 なかでも 不思議 なのは、 なぜ 私 たち は 虚構 が こんなにも 気 に なる かで ある。
ジョナサン・ゴットシャル (2022-07-29). ストーリーが世界を滅ぼす―物語があなたの脳を操作する (Kindle の位置No.582-583). 東洋経済新報社. Kindle 版.
私は小説を読むのが好きだし、物語についてあれこれ議論をすることが好きです。そして、この本によると私だけではなく人間は一般的にストーリーに非常に多くの時間を費しています。
最近 の ニールセン の 調査 に よれ ば、 平均的 な アメリカ 人 は メディア 消費 に 1 日 12 時間 近く 費やし て いる。 テレビ 視聴 だけで 4・5 時間 だ
ジョナサン・ゴットシャル (2022-07-29). ストーリーが世界を滅ぼす―物語があなたの脳を操作する (Kindle の位置No.570-572). 東洋経済新報社. Kindle 版.
テレビ視聴やメディア消費がストーリーを読むこととイコールと言えるのか?という疑問を持ったかもしれません。
上記のメディア消費というのは小説だけでなく、ニュースやドキュメンタリーやホームドラマ、SNS上の投稿やビデオゲームを含みます。そして、本書で言うストーリーは創作か現実かに関係なく、「人々が仲間をなびかせようとするコミュニケーションの一形態」を意味し、人が他社の感情を呼び起こすために作られた何かはすべてストーリーとなります。この意味ではニュースやドキュメンタリーなどもストーリーとなります。
では我々はなぜこんなに人間はストーリーが好きなのでしょう。
我々はストーリーに日常的に浸っています。現代においては目の前にある現実のことを考えるよりもより多くの時間をストーリーに対して費やしているかもしれません。
なぜ我々がストーリーを必要としているか、を考えるために、ストーリーを読まない人生を想像してみます。まず、退屈だと思うに違いありません。ストーリーがない世界は刺激がなくて耐えられないように思えます。
ではなぜ退屈だと感じるのか、そして人間はなぜ退屈が苦痛なのかを「暇と退屈の倫理学」を使って考えていきましょう。
本書ではハイデガーの「形而上学の根本諸概念」を元に退屈とは何かを考えています。
ハイデガーは退屈を3つに分けます。
- 何かによって退屈させられること
- 何かに際して退屈すること
- なんとなく退屈すること
1は明確に退屈をもたらす対象があるケースです。例えばどこかに行きたい時に電車を待っているケースは時間によって退屈させられていると考えます。
2は特定の何かによって退屈させられているのではなく、何かに立ち会いつつ、なんとなく退屈を感じているというケースです。パーティーに出かけて楽しくあそんだけど、振り返ってみると退屈だったと感じたという例があがっています。楽しくあそんだのに一方で退屈を感じるというのは一見理屈にあわないように見えますが、振り返ってみると人生で良くある場面のように見えます。何かに強く集中しているでもなく、なんとなく楽しかったけど退屈さもまたあった。
2のケースではパーティーに招待されたこと、そこでの立ち振舞い、すべてが退屈に対処するための気晴らしだったと解釈することができます。状況がそもそも退屈を解消するための気晴らしなので、特定の退屈なものなどありません。
3は気晴らしが許されない退屈で、退屈に耳を傾けることを強制されているケースです。完全に自由であるときに、我々は退屈であるという感覚を持ちます。この退屈から逃れるには何かを決断する必要がある、というのがハイデガーの意見です。
ハイデッガー は、 退屈 する 人間 には 自由 が ある の だ から、 決断 によって その 自由 を 発揮 せよ と 言っ て いる ので ある。 退屈 は お前 に 自由 を 教え て いる。 だから、 決断 せよ ─ ─ これ が ハイデッガー の 退屈 論 の 結論 で ある。
1から3にむかって退屈はより深くなっていきます。
3の状態も興味深いですが、我々が退屈なのでストーリーを消費したいと考えるのは1、2のケースです。3はストーリーのような気晴らしが役に立たないような場面でしょう。
また、本書では3は決断すると1に遷移するという指摘がされています。そして、2のケースが人間の人生でもっとも多くあらわれる退屈の形態であり重要であると述べています。
2のケースにおいて退屈がなぜ発生するのかについて以下のような説明をしています。
人間 は 高度 な 環 世界 間 移動 能力 を もち、 複数 の 環 世界 を 移動 する。 だから 一つ の 環 世界 に とどまる こと、 そこ に ひたっ て いる こと が でき ない。 これ が 人間 の 退屈 の 根拠 で あっ た。
環世界 というのは生物が知覚から感じとれる世界のありかたで、例えばダニは視覚・聴覚が存在しない一方で嗅覚、触覚、温度感覚を持っているため、嗅覚、触覚、温度感覚から感じとれるもので構成されたダニならではの環世界を持っています。
人間はこの環世界を複数持ち、環世界間を移動するとしています。例えば地理学者が鉱石を見た時の世界の理解と、鉱物学者が鉱石を見た時の世界というのは違っています。このように知覚としては同じでも、その解釈を変えることができる、それを環世界の移動と捉えることができる、という意味です。
では、 ここ から 退屈 について 考える と どう なる か? 人間 は 環 世界 を 生き て いる が、 その 環 世界 を かなり 自由 に 移動 する。 この こと は、 人間 が 相当 に 不安定 な 環 世界 しか 持ち 得 ない こと を 意味 する。 人間 は 容易 に 一つ の 環 世界 から 離れ、 別 の 環 世界 へと 移動 し て しまう。 一つ の 環 世界 に ひたっ て いる こと が でき ない。 おそらく ここ に、 人間 が 極度 に 退屈 に 悩まさ れる 存在 で ある こと の 理由 が ある。 人間 は 一つ の 環 世界 に とどまっ て い られ ない の だ。
世界 を 容易 に 移動 できる こと は 人間的「 自由」 の 本質 なの かも しれ ない。 しかし、 この「 自由」 は 環 世界 の 不安定 性 と 表裏一体 で ある。 何 か 特定 の 対象 に〈 とり さらわ れ〉 続ける こと が できる なら 人 は 退屈 し ない。 しかし、 人間 は 容易 に 他 の 対象 に〈 とり さらわ れ〉 て しまう の だ。
一つの環世界しか持たず、その世界で対象に<とりさらわれる>ならば人間は退屈しないのだが、そうではなく複数の環世界を移動するから人間は退屈するのだと言っています。
文明以前の世界では人間が危険を回避する能力が必要でした。危険を回避するためには周囲の環境を正確に把握する必要があります。そうであるならば、退屈というのはこの切り替えを促すための仕組みなのかもしれません。
また、ストーリーがなぜ人間にとって魅力的なのかというと、他の環世界へ移動できないほどに<とりさらわれる>コンテンツ、であるからと言うことができそうです。
言い替えると、ストーリーは意識をそこに集中させ、退屈させないという力があるので人間はストーリーを好むのだという話になります。
たまには洋書を、と思って読み進めて爆死した
たまには洋書を、と思って読み進めて爆死した
今は翻訳技術が上がっているので、微妙な英語力でも洋書を読み進められます。
そこで調子に乗って最近興味を持っているインフレーションについての英語の経済書を買ってみたのですが、これが全然読み進められない。
ゆっくりとなら翻訳機能を使って読めないことはないですが、2時間かけて全体の5%=20ページとか時間が溶けていって泣けてきます。技術書だと、「まあ言いたいことはこういうことでしょ」とハイペースで読めるので技術書にすれば良かったかもしれない。今のペースだと、毎週土曜に読んだとしても4ヶ月くらいはかかりそうで辛い。
でも、読む本はできるだけ洋書にしたいなあという気持ちはあります。英語だとKindleでO'Reilly本が買えるから便利ですよね。
Oreillyだとこの本が面白そうで仕事にも役に立ちそう。
でも技術分野とはいえ500ページ長だからなあ・・・